LECTURE

高校特別文化講演会 2015年ノーベル生理学・医学賞受賞 大村 智博士 前編

2019/04/19

1981年に発売された家畜•ペットの抗寄生虫薬イベルメクチンは、ヒトにも有効なことから後にストロメクトール®としても市販。熱帯の発展途上国等にはメクチザン®として無償供与され、2012年には世界3億人以上に投与されて、発展途上国における「公衆衛生上過去最大の成果」(ユネスコ)と人類規模で評価されてきました。

このイベルメクチンを米国の製薬会社と共同開発されたのが大村 智博士で、2015年には線虫の寄生が原因となる感染症への新たな治療法の発見が認められ、 ノーベル生理学・医学賞を受賞されました。

315()に開催しました特別文化講演会には、この大村博士を招へい。「私の歩んできた道」と題して、ご自身の幼少時から現在に至るまでの歩みを、イベルメクチンを例にしたご研究活動のエピソードや社会貢献への思い等も交えながら、高1・高2を中心に学外からの聴講者も含む計688人を前にお話しいただきました。

 

恩師に恵まれ、努力を怠らず

山梨県韮崎市の農家の長男として生まれられた大村博士は、山や田んぼでご両親のお手伝いをしながら成長。詩人で文化勲章受章者の大岡 信氏「眺望は人を養う」の言葉を引用しながら、富士山や八ヶ岳を間近にする生家の環境にまず触れられました。

恩師に恵まれた中学時代、卓球とスキーに熱中した高校時代、そして農家を継ぐことから一転しての大学進学時と再度スキーに傾倒した大学時代…。特に、スキーからは「レベルの高い環境に身を置くこと」「自分たちで工夫すること」「友人は人生の宝であること」を学んだと振り返られました。

大学卒業後に定時制都立高校の教職に就かれましたが、生徒たちの懸命に学ぶ姿に触発され、教員をしながら有機化学を修めに東京理科大学の大学院へ。その後、工学部発酵化学研究施設の助手に採用された母校・山梨大学に戻り、「微生物」の能力に感動されたことから、化学と微生物の両方を使った研究にご自身の研究分野を見つけられます。

日本の細菌学の父・北里柴三郎氏を創設者とする北里研究所に移られてからは、「研究成果は適切に実地に応用して国利民福の増進に寄すること」という実学の精神のもと、微生物の産生する化合物に目的の物質を見つける探索研究と構造決定の仕事に日夜没頭。「泥を被る仕事をしよう」と、自分で有用な化合物の探索を重ねてきた先に、今回のノーベル賞受賞が結び付いたと述懐されました。

中高大・社会人を経て研究者の道へ。相好を崩しながら語られる若き日の恩師や仲間とのエピソードからは、当時がすでに充実した日々であったことがうかがえました。

 

高校特別文化講演会 2015年ノーベル生理学・医学賞受賞 大村 智博士 後編 へ続く

高校特別文化講演会 2015年ノーベル生理学・医学賞受賞 大村 智博士 後編

2019/04/19

高校特別文化講演会 2015年ノーベル生理学・医学賞受賞 大村 智博士 前編 から続く

 

世界3億人を失明から救った薬

液体培養の手法で年間に微生物4,000株を調べられる大村博士のご研究活動からは、現在までに500種近い化合物が発見され、そのうち26種が医薬品や農薬•研究用試薬に利用。数々のご研究から、今回は誰もが待ち望んでいたイベルメクチンに関するエピソードをお話しくださいました。

1971年の春に米国・カナダのいくつかの大学や研究所を訪問されたなかから、米国ウエスレーヤン大学のマックス・テイシュラー先生と繋がりが持て、同年秋には同先生のもとへ客員研究教授としてご留学。テイシュラー先生はその後間もなく、ACSAmerican Chemical Society=米国化学会)の会長になられたため、同先生に代わって大村博士が大学院生や博士研究員の指導をされました。

このことがテイシュラー先生に認められ、同先生は大村博士が日本帰国時に考えられていた動物薬の製薬企業との共同研究という産学連携アイデアを応援くださり、米国メルク社(メルク・アンド・カンパニー)を紹介してくださいました。それが、後に抗寄生虫薬イベルメクチンの開発へと繋がります。

1回の皮下注射で寄生虫をほぼ100%駆除できるこの画期的な薬は、家畜やペットのフィラリア特効薬として発売後20年余りも動物薬No.1の座に君臨し、そのロイヤルティからは新たな研究で社会貢献するための機会が生まれました。

ミクロフィラリア(幼虫)が原因で足が痒くなり、失明するおそれもあるオンコセルカ症(河川盲目症)や、感染を繰り返すと足が異常に腫れ上がるリンパ系フィラリア症(象皮症)はヒトに感染しますが、イベルメクチン(メクチザン®)はこれらにも有効。そこで、WHO(世界保健機関)を通じてアフリカ・アジア等の蔓延地域に無償供与が続けられたところ、2020年にリンパ系フィラリア症が、2025年にはオンコセルカ症も、それぞれ撲滅が見込めるようになったこともご紹介くださいました。

ちなみに、この講演で大村博士が締めておられたネクタイは恩師、テイシュラー先生の形見で、ご恩は決して忘れないとも語られました。

 

社会貢献として、郷里へご恩返し

さらに、ご自身の社会貢献に対するお考えとして、病院(北里大学メディカルセンター、埼玉県北本市)を開設し、絵画や音楽によるヒーリングアートを30数年前から実践してこられたこと。郷里にも約2,000点の絵画を寄付して美術館(韮崎大村美術館)を開館されていること等に言及。海外講演の際にはスライド等も使って日本文化を紹介され、「一期一会」の心を大事にされていることもお話しくださいました。

孔子の「其れ恕か」(それじょか)の言葉を引き合いに「思いやり」の、また「挑戦しないでチャンスを逃がすことを恐れなさい。挑戦して失敗しても後の人生にとって宝となる」と「チャレンジ」することの、それぞれの大切さを最後にメッセージしてくださった大村博士。

本校生との質疑応答にも丁寧にお答えいただき、廣瀬高校生徒会会長(当時)らから贈られた感謝の言葉と花束に笑みを浮かべてくださったそのお姿からは、かくしゃくとした世界第一線の科学者に共存する人生の大先輩としての真摯で温かなお人柄を感じました。

大村 智先生、当日は貴重なご講演をいただき、誠にありがとうございました。

中学特別文化講演会 文部科学大臣補佐官 鈴木 寛氏

2017/08/01

2020年度に予定されている大学入試制度改革では、現在のセンター試験が廃止され、本格的な高度情報&グローバル社会を迎えるために新たな試験が導入されるといわれています。

三田学園ではこの時代の変化をいち早く捉え、新制度大学入試に対応できるよう現在さまざまな教育の改革や内容の充実に力を注いでいます。

そんな中、自らが中心となって大学入試制度改革を進めておられる文部科学大臣補佐官の鈴木 寛氏を招へい。6月14日(水)には中学全学年全生徒723人を対象とする特別文化講演会を開きました。

本校はもちろん教育界全体からも、今もっとも大きな注目を浴びておられる鈴木氏。「二十二世紀まで生きる君たちへ ~新時代の学びと大学入試改革~」と題された講演では、日頃は東京大学と慶應義塾大学でも教授として教壇に立っておられるだけに、中学生にとっては少し難しさの混じるお話もわかりやすく噛み砕かれ、飽きさせない上に親しみも感じられる語り口調でお話しくださいました。

当日は1時間半近くにも及んだこの講演。本校今年度前半のハイライトのひとつともいえるその模様を、以下に書き起こし要約として掲載します。

【鈴木寛氏 プロフィール】
すずき かん 東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授、文部科学大臣補佐官
1964年生まれ。東京大学法学部卒業後、1986年通商産業省に入省。慶應義塾大助教授を経て、2001年参議院議員初当選(東京都)。12年間の国会議員在任中、文部科学副大臣を2期務めるなど、教育、医療、スポーツ・文化・情報を中心に活動。大阪大学招聘教授(医学部・工学部)、中央大学客員教授、福井大学客員教授、和歌山大学客員教授、日本サッカー協会理事を務める。2012年一般社団法人社会創発塾設立。2014年2月より、東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授に同時就任、日本初の私立・国立大学のクロスアポイントメント。10月より文部科学省参与、2015年2月文部科学大臣補佐官就任。三田学園理事長の北畑隆生とは通商産業省の先輩後輩にあたる。

高校特別文化講演会 日本生命保険相互会社卓球部監督 村上恭和氏

2017/03/20

金銀銅合わせて過去最多となる41個のメダルを日本にもたらした、昨年8月のリオデジャネイロ・オリンピック(以下、リオ五輪)。なかでも、手に汗握る熱戦で大きな興奮と感動を呼んだ競技のひとつが卓球でした。石川佳純(かすみ)、福原愛、伊藤美誠(みわ)の3選手が銅メダルを獲得した女子団体戦では、勝利の歓喜に沸く選手たちの側にピタリと寄り添った卓球女子日本代表監督の姿を覚えておられる方も多いことでしょう。

3月11日(土)、その前卓球女子日本代表監督だった村上恭和(やすかず)氏を本校にお迎えし、特別文化講演会を開催。高1・200人、高2・200人の在高校生全員を前に、村上氏は「勝負はすべてミッションから始まる」とご自身の著書と同じタイトルの下、貴重なお話をご披露くださいました。

講演の冒頭ではリオ五輪女子団体戦の様子を映像で流され、石川・福原・伊藤3選手の素顔をご紹介。聴く者が「あの名場面」と選手たちへの親近感を持ったところで、話題をご自身のこれまでにチェンジされました。

中学で卓球を始め、以後大学・社会人に至るまでの間ずっと選手として卓球に関わり、活躍してこられた村上氏は、30歳で指導者になりたいと会社を退職。大阪で町の卓球場のフリーレッスンコーチとなり、そこで運命の日本生命入りするチャンスを掴まれます。

卓球部監督としての1年契約でしたが、当初から「日本一になるには6年間はほしい」と自ら条件を出され(最初のミッション)、その6年後には奇跡的な優勝を果たして、日本生命を見事日本一に。しかし、この6年目には挫折もありました。タクシー乗車中の事故による大怪我が原因で、コーチとしての指導法を変えざるを得なくなり、従来のマンツーマンからミーティングや対戦相手の戦力分析に重きを置く指導に変えたことが、チームの奇跡の優勝に繋がったと話されました。

翌7年目にはトラブルによるストレスから急性肺炎を患われ、卓球を辞めようと思われたことも。しかし、そんなピンチの時期に読まれた一冊の本(「成功への情熱 PASSION」稲盛和夫著)が考え方を変えるきかっけとなり、以後は「日本卓球界全体をどう発展させていけばよいか」と大局的な見地から再び卓球に携わられるようになり、現在に至る活躍をしてこられました。 当日は、ロンドン・リオの両オリンピック大会での「ミッション」とそれらの解決・成功までの道筋、選手のモチベーションを上げるための方法等、講演会ならではの秘話もふんだんに。最後には「人間万事塞翁が馬」(中国の故事、人生は何が成功で何が失敗かは終わってみなければわからない)を座右の銘として紹介され、本校生たちには「人生の結果は考え方で決まる。挑戦的なミッションを自らつくり、悔いのない人生を」とエールを送ってくださいました。

終わってみればとても具体的で実戦的なお話の数々に、本校生たちの将来にも的確な道しるべをいただいた講演になりました。

なお、当日は3.11にあたり、会場の小寺ホールでは講演前に聴講者全員で黙祷を捧げました。

医師・登山家 今井通子氏特別講演会

2016/10/14

秋も深まり始めた10月8日(土)、医師で登山家の今井通子氏をお招きして特別講演会を開催しました。

今井氏は医師として活躍される一方で、欧州アルプス・マッターホルン北壁登攀(1967年、女性パーティ世界初)をはじめ女性では世界初の欧州三大北壁完登にご成功。以後も登山活動で数々の足跡を残され、現在も医学と登山の両面から得られた貴重なお話を講演・執筆等の活動を通じて意欲的に発信されています。

そんな今井氏が割れんばかりの拍手に迎えられ、登壇されたステージには「山からの贈り物 ~山と仕事と子育てと~」のテーマが。講演はまず「山」のお話から始まりました。

並び立つ世界の高峰に登頂された際の貴重なご体験談とスライド写真の数々を披露されるなかで、子どもの頃はともに医師だったご両親に健康のためにと夏山へ1カ月間連れて行かれ、晴れた休日にはハイキング、雨の休日になってようやく映画を観るような生活だったと回想。この幼少期の原体験から、その後登山に本格的に取り組むようになられました。

今でこそ登山が大ブームの日本ですが、元々「山」といえば一部の本格的な登山家が目指す場所という印象でした。それが、欧州では山岳地帯は疲弊した都市環境の対局に置かれるものとして、一見山に関係のなさそうな一般市民も気軽に登る場所となっています。そんな欧州と関わりの深い今井氏は「人間環境」と「自然環境」の相関性を軸に、登山から森林へ、さらにそれらが医学、子育てに与える影響を熱く語っていかれます。

人間へのさまざまなメリットがある森林は、人間環境を維持するうえでも保全と適正な利活用が必要なこと。週末に山暮らしされる今井氏の日に焼けた顔が患者さんを元気にすることから、山は人間の健康維持・増進や人間関係上の癒やしに役立つこと。二つと同じものがないことから、自然は人間の観察力や洞察力から危機管理能力(肯定的にものごとを見て発展的に解決する力)までの獲得にも役立つこと…。

これらの「山が教えてくれたこと」を科学的・医学的な視点から語られるなかで、子育てでの「親が子どもを認めること」の大切さや、子どもの人間性・能力の開発に親は「自然という場を与えてあげる」だけでよいこと等、本校生の保護者ら子を持つ方々にとても参考となるお話にも数多く触れられました。

他にも、森林の持つ機能や森林浴の楽しみ方等の話題が登場し、終わってみれば「森に何かをしに行く、ではなく、森に何かをされに行く」という森林セラピーの考え方が伝わる意義深い講演でした。

なお、この講演会は毎年三田学園育友会研修会として開かれてきたものですが、今年は一般の方にも聴講の門戸を本格的に開き、事前に三田市や新聞・ラジオ等の地元各メディアを通じて参加者を募ってきました。

おかげさまで、当日は育友会関係者約300名に加えて一般からも75名の方が来校され、今井氏のお話に耳を傾けられました。

ご参加いただいた一般の方々、本当にありがとうございました。併せて、募集告知で大変お世話になりました三田市および地元各メディアの皆様にもこの場を借りまして厚くお礼申し上げます。

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中学特別文化講演会 昭和電工株式会社取締役会長 高橋恭平氏   

2016/09/08

2学期が始まって間もない9月1日(木)、総合化学メーカーの昭和電工株式会社から取締役会長の高橋恭平氏をお招きし、特別文化講演会を開きました。

今回は本校中学生を対象とした講演で、当日は中1・239人、中2・235人、中3・227人の計701人が聴講。広い小寺ホールを埋め尽くす生徒たちが今か今かと待ち受ける中、高橋氏が壇上のマイクに向かわれました。

講演のテーマは、化学メーカーにふさわしく「化学は不思議、面白い!!」。生徒たちには事前に「元素周期表」が配られており、高橋氏のお話の内容に合わせてこの表を参照しながら聴講するというスタイル。そして、講演は高橋氏の「中学3年または中高6年間で何でもできる基礎を身に付けなさい」というメッセージからスタートしました。

今回の講演には、話の軸となるキーワードが設けられていました。それが「元素」でした。

スクリーンには今年113番目の新元素「二ホ二ウム」(ウンウントリウム)を発見された森田浩介氏(理化学研究所)を皮切りに、ノーベルやアインシュタインら世界の歴史的な科学者の顔が次々に投影。業績から彼ら一人一人の名を冠した元素の話へと移行すると、生徒たちの意識もごく自然に「元素の世界」へと引き込まれていきました。

自動車やリビングルームを例に、日常生活にはどれだけ多くの化学製品が使われているか?のわかりやすい事例には、生徒たちも頷くことしきり。

錬金術から元素周期律表の発明者・メンデレーエフ、二ホ二ウム、レアアース、さらに原子•分子へと元素の話題が次々と飛び出してくるにつれて、講演はいよいよ佳境。

締めくくりには科学オリンピックの話題、そして本校中学生への再度のメッセージ。二ホ二ウム発見者の森田氏は8年間で400兆回実験し、成功したのはたったの3回だったというエピソードや、エジソンの「私は失敗したことはない、ただ1万通りのうまくいかなかった方法を見つけただけだ」という言葉を引用しながら、「失敗してもいい。中学生の間にやりたいことを見つけなさい」「これからに向けて英語をマスターしなさい。自分の言いたいことを伝え、相手の言いたいことを理解できる生きた英語・言葉を身に付けなさい」と、最後には再び熱いエールを送ってくださいました。

難しく思われがちな化学がテーマでも、映像を含む豊富な資料と生徒目線の丁寧な解説で60分間飽きさせることなく講演された高橋氏。

花束贈呈時に生徒代表が「化学に興味が湧きました」と話してくれたように、高橋氏のお話がきっかけで三田学園から新たな化学者、科学者が生まれることを期待しています。

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ノーベル物理学賞受賞者 天野 浩 氏 特別文化講演会

2016/03/14

3月11日(金)、世界初の青色発光ダイオード(以下、青色LED)を開発され、2014年にはノーベル物理学賞を受賞された名古屋大学教授の天野 浩氏をお迎えして特別文化講演会を開催しました(ノーベル物理学賞は赤崎 勇氏、中村修二氏との同時受賞)。

会場には本校の高校1・2年生約550人の他、三田市内の他校高校生約70人、来賓約20人、さらに教職員も加えた700人前後の聴講者が集まり、大きな期待感が会場を包み込む中で天野先生がステージに上がられました。

「世界を照らすLED」と題された講演は、「世界中の誰もが安心して暮らせる社会をつくること」という研究者に課せられた使命の話から始まりました。世界的視野では難民やテロへの対応から地球温暖化対策まで、そして国内では経済活性化のカギと、今解決が急務となっている極めて現代的な課題を概観。その上で、ビル・ゲイツ氏や故スティーブ・ジョブズ氏らの起業時年齢を引き合いに、「世界を変えるような仕事をする人は20代で人生を変える選択をしている」さらに「若い人が将来幸せな生活を送るためには、自身がこれからの世の中を変えないといけない」と会場にいた高校生たちに鮮烈なメッセージを投げかけられました。

続いて、子供の頃から研究者の道に進まれた頃までのご自身の歩みを振り返られ、大学で「人を助ける、人の役に立つのが学問」だと気付き、誰かに教えてもらうのではなく自ら主体的に勉強していった結果、自分にしかできないこと、前人がやったことのない新しい何かとして「青色LED」に出会った。といった高校生にはとても大事な話を、彼らが身近に感じられるように伝えられました。

講演の後半では、ご自身のノーベル賞受賞に結び付いた青色LEDの開発秘話を軸に、ここでも自分の意志で物事に取り組むことの素晴らしさや楽しさ、そしてその時々の自分を救ってくれた“人とのご縁”の話が語られ、一方では現在の社会的インフラの必須技術的要素ともなったLEDの現代的課題にも言及されました。

最後に、この講演で天野先生がもっとも伝えられたかったことを「挑戦•自立•貢献」というメッセージに集約。高校生だけでなく会場のすべての人にチャレンジすることの大切さを再度アピールされ、本校生徒会からの花束を笑顔で受け取って講演を締めくくられました。

なお、当日は東日本大震災からちょうど5年目の日にあたり、講演に先駆けては震災の犠牲者に向けて会場全員でしばしの黙祷を捧げました。

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パラリンピアン 佐藤真海氏 特別講演会

2016/02/22

2月20日(土)、パラリンピアンで2020年東京オリンピック・パラリンピック招致委員会のプレゼンターとしても活躍された佐藤真海氏を本校へお招きし、小寺ホールで特別講演会を開催しました。

佐藤氏は早稲田大学在学中の2001年に骨肉腫が発症し、翌年には右足膝以下を切断。しかし、懸命のリハビリテーションを続けられながら、その後は中学・高校と選手だった陸上競技でパラリンピック出場を目指され、走り幅跳び競技で2004年アテネ大会9位、2008年北京大会6位入賞、2012年ロンドン大会でも9位と見事に3大会連続出場を果たされました。また、2013年には国際パラリンピック委員会(IPC)世界選手権大会で銅メダルを獲得され、現在は会社員と競技選手そして育児までもを両立されながら、障害者スポーツの理解と支援を広げる活動に取り組んでおられます。

講演は「夢を跳ぶ」の演題の下、中学校生徒全員を前に始まりました。

前半では、小学生の時に水泳のコーチからいただいた「気持ちで負けない強い選手になれ」の言葉や、中学時代に陸上競技に転向し、勉強でも頑張ろうと「文武両道」に努めたことが今の自分のベースになっていること。骨肉腫で右脚を失い、失意のどん底にあった頃にお母様からかけられ、「私なら乗り越えられる」という今の佐藤氏の信念に繋がっていった言葉、「神様は、その人に乗り超えられない試練は、与えないんだよ」。そして、義肢装具士さんとの運命的な出会いとパラリンピック出場を果たされるまで…。

障害を負われ、再起を果たされるまでの佐藤氏にはつねに周囲にたくさんの人々がいて心震わせられる「言葉」があったことを、佐藤氏はひとつひとつの言葉を選びながら丁寧に語られました。

後半でも、パラリンピックは人間の持つ可能性を教えてくれるとして「自分を信じて、限界のふたを外しましょう!」。2020年東京大会では「大切なことは、ハンディキャップも、ライフステージも、人種も、国籍も関係なく、すべての人に対しての『まなざし』を持つこと」など、より広く深い視点に立った佐藤氏の魂のこもったメッセージが発せられました。

わずか1時間足らずの講演でしたが、聴講させていただいた本校中学生にとっては、特に佐藤氏の10代のお話はリアルな説得力を伴って、彼らの心の奥深くまで響いたのではないでしょうか。

苦難の道を乗り越え、また新たな目標(2020年東京大会トライアスロン競技出場)へと歩み出された佐藤氏。触発された本校生からも障害の有無とは関係なく、将来こんなに感動的な講演ができる人材が出てくることを期待します。

元サッカー日本代表 中田浩二氏のサッカー教室

2015/12/14

前日までの雨も止み、雲の隙間からは青空も見え隠れした12月12日(土)。元サッカー日本代表で現在鹿島アントラーズC.R.O(クラブ•リレーションズ•オフィサー)の中田浩二氏を招聘しての少年少女サッカー教室が、本校人工芝グラウンド・サッカーコートで開かれました。

中田氏はご存知のとおり、Jリーグ鹿島アントラーズからフランスおよびスイスのクラブチームに渡られ、海外でも活躍された後に帰国。再び、鹿島アントラーズの牽引役として活躍してこられましたが、昨年引退。この間に、ユース時代からの日本代表選手を何度も務められて、サッカー日本代表の躍進とともに現役を歩んで来られました。

そんな中田氏が三田の地にやって来られるとあって、当日は地元三田および近隣地域の少年サッカーチームから約130名の少年少女サッカー選手が本校に集合。「皆さん、今日はチャレンジ精神をもってやっていきましょう」とのメッセージを携えて中田氏が登場すると、サッカー教室は早くも熱気をはらみながら幕を開けました。

プログラムはまず子供たちが2人1組に。中田氏もペアを組んでの鬼ごっこやドリブルという、ユニークなウォーミングアップで身体を温めました。続いては、子供たちが二手に分かれてのパスやドリブル。入念な練習からはボールコントロールや連携の基本の大切さが、教わる側にもよく伝わったことでしょう。

そして、教室の後半では子供たちが4つのグループに分かれてのミニゲームが開催。このゲームはなんと!1チームが20人、ゴールキーパーは1人に対して3個のボールを皆が追いかけるという破天荒なルール。最初はどうなることかと思いきや、中田氏も子供たちと一緒になって人工芝の上を駆け回られると、シュートに次ぐシュートがバシバシとキマり、まるでボクシングを見るようなおもしろさでした。

ミニゲームの興奮冷めやらぬ中、ホイッスルが鳴ると教室も終了。「サッカーは日々の積み重ね。皆さんも練習によく励んで目標を目指してください」。そんな中田氏からの最後の熱いメッセージに、子供たちは満面の笑みで応えていた教室となりました。

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元宝塚歌劇団トップスター 安奈淳さん講演会

2015/11/24

本校の育友会研修、さらに同窓会主催の第2回ホームカミングデイが共に開催された11月14日(土)。大勢の保護者や卒業生の方々でキャンパスが賑わう中、元宝塚歌劇団星組・花組の男役トップスターで現在女優・歌手の安奈淳さんによる講演が開かれました。

安奈さんといえば、宝塚歌劇団の代名詞ともいえるミュージカル「ベルサイユのばら」のオスカル役を務め、第1次ベルばらブームを巻き起こして一世を風靡されたタカラヅカの象徴のような方。その華やかでまぶしいほどのオーラは、講演が始まり、登壇された瞬間から観客席を一瞬にして包み込んでしまいました。

講演ではタカラヅカ在籍中のとっておきの思い出話をご披露。オスカル役の際に鬘が重たかったことなど、随所にユーモアをたっぷりと交えながら軽快なテンポでお話を進められました。

元々は絵描きになりたかったけれどもご両親に反対されてタカラヅカに入団されたといった秘話も話され、観客席は気が付けば安奈さんのお話のとりこに。一方で、タカラヅカ退団後に見舞われることになられた病魔の話では一時は膠原病で生死の境をさまよわれたり、つい最近も大きな手術をされたりしたことを包み隠すことなく、時には会場の笑いさえ誘いながら淡々と話され、「人間はエネルギーが尽きない限りは死ねない」と奇跡の復活を果たされた現在の心境に触れられるに及んでは、観客席の誰もが深い感動と共感に包まれました。

途中には、なんとアカペラで「すみれの花咲く頃」など3曲を熱唱されたり、講演本編終了後には会場との質疑応答で親が子供の夢を応援する方法やどんな苦難にも日々をくよくよせずに生きることの大切さを語られたりと、まさに安奈さんワールドが全開だった60分間。こんなに素敵で元気のいただける講演に居合わせられたことの幸せと満足感から、会場の拍手はいつまでも鳴り止むことがありませんでした。

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