三田学園 歴史・資料
第一資料室(平成8年完成)
第一資料室見取り図

理事長、歴代校長、卒業生の集合写真(卒業年次順)

第一資料室入り口第一資料室の入り口に、理事長、歴代校長先生、全卒業生の卒業年次毎の集合写真(第1回卒業生から現在まで)が飾られています。

各周年記念式典のようす

各周年記念写真各周年記念式典の様子を写真で紹介しています。

学校設立に関する資料

学校設立書類学校設立に関する資料 等 
 三田学園(当時三田中学校)設立に関する申請書等が綴られています。

小寺謙吉先生ご愛用の品々

小寺謙吉先生愛用品小寺謙吉先生愛用品について
 小寺謙吉先生は芸術に対しての造詣が深く、陶器・掛け軸をはじめとする多くの収集品と共に自作の書や陶芸(清水焼)もあります。特に先生の私邸だった相楽園にたくさん植えられていた「蘇鉄(そてつ)」の絵柄を多く見受けます。

小寺謙吉先生の収集品について

小寺謙吉先生収集品小寺謙吉先生収集品について
 小寺謙吉先生は数多くの貴重な美術品を収集されていました。その多くは手放されましたが、面影は古美術目録から偲ぶことができます。三田学園に寄贈された墨跡の多くは、先生の親族・友人知人によるものです。次に主だった方々を紹介します。

1. 謙吉先生の親族関係

岸上格之丞正名
 三田藩士。長男角次のもとに謙吉先生の叔母「りき」(父・泰次郎の妹)が嫁ぎました。この岸上家から小磯家の養子に出た“りきの孫”が、画家の「小磯良平」です。また良平を養子として迎えた小磯吉人夫人の英子(はなこ:英「はな」とも言う)は、謙吉先生の姉です。

土方佐平直行
 土佐藩士。長男寧(やすし:元東大教授・貴族院議員)のもとに 謙吉先生の姉(父・泰次郎の二女)常子が嫁いでいます。

2. 謙吉先生の友人知人

 東郷平八郎(1848-1934) 謙吉先生の仲人

 山内 多門(1878-1932) 謙吉先生の師。日本画家。日本絵画協会展、二葉会展、文展と受賞を重ねる。帝展に出品後審査委員となる。

 九鬼 隆一(1850-1931)  三田藩士から綾部藩家老の養子に。文部省に務め、帝国博物館総長となり、美術行政に大きな功績を残す。三田博物館は私財を投じて設立した。

 近藤 雪竹(1863-1928) 謙吉先生、上田桑鳩の書道の師。特に隷書の妙手で、比田井天来・丹羽海鶴と共に三羽烏として知られた。

 比田井天来(1872-1939) 謙吉先生紹介により、第1回生・上田桑鳩の書道の師となる。

小寺謙吉先生略伝

小寺謙吉先生略伝パネル小寺謙吉先生略伝
(明治10年〜昭和24年9月27日、享年72歳)

 校祖小寺謙吉先生の生涯を描いた写真パネルです。謙吉先生の父・小寺泰次郎に生まれ育った相楽園、弟の壮吉・又吉との写真、留学時代から衆議院議員、神戸市長までの写真を用いて、写真で見る略伝に仕上げました。

小寺泰次郎肖像画小寺謙吉先生の父・泰次郎
 泰次郎は、三田藩士・弥五太夫の次男として足軽町に生まれました。現在三田町にある小寺公園がその邸宅跡です。先代を継いで代官職につき、後に白洲退蔵らの補佐役として藩の財政再建に貢献しました。
 明治の廃藩置県後、元三田藩主の九鬼隆義、白洲退蔵らと共に神戸で志摩三商会を設立。その後明治13年から県会議員、神戸市議会議員を歴任し、親交の深かった福沢諭吉の説く理想的学校設立を念願としていました。

相楽園相楽園
 明治九年、泰次郎が神戸中山手に広大な屋敷を建築し移り住んだ住居で、ここで翌年 長男謙吉が生まれました。
 この邸宅に立派な蘇鉄があったので「蘇鉄園」とも呼ばれていましたが、昭和16年に小寺家から神戸市に譲渡された際、中国の古書にある「和悦相楽」の言葉から「相楽園」と名付けられました。

小寺先生 留学時代留学時代
 明治27年 当時唯一の中学校であった県立神戸商業学校を卒業、一年志願兵を満期除隊した後上京し、杉浦重剛の「称好塾」で1年間学びます。
 明治30〜40年の間向学心のおもむくまま欧米に留学して政治・法律学を学び、ドクター・オブ・シビルローの学位を得て帰国します。
 このように語学堪能な先生は、出征の折総司令部附のスポークスマンの任にあたられました。

小寺先生と長女・泰子結婚、衆議院議員当選、学校設立時代
 明治40年11月25日、東郷平八郎氏の媒酌で結婚します。この年に学校設立場所を三田に決め、用地買収を始められました。
 翌年明治41年、31歳の時に長女泰子が誕生。同年5月、兵庫県郡部選出衆議院議員に当選。また学校設立に向けて建設事務所を置いて土木工事に着手なさいました。翌42年には神戸市会議員に当選。そして44年1月に「三田中学校」の設立許可がおり、同年4月には神戸商工会議所特別議員に選出されました。

三田中学校開校 明治45年(35歳)
 明治45年4月8日、設立者理事および校長に就任し、父小寺泰次郎、川本幸民らの願いであった学校を三田の地に開校します。また同年5月には衆議院議員に当選しました。

小寺先生と弟・壮吉、又吉弟・壮吉、又吉と共に
 明治39年(29歳)、満州に渡り弟二人と共同出資で「小寺洋行」という豆粕製作所を、壮吉氏を代表において設立します。
 事業は成功しましたが、ルーブル紙幣暴落のあおりを受けて大正12年に倒産します。この時1500万の債務があり、三田学園閉鎖の話も出ましが、学校だけは渡さないと死守して下さいました。

小寺先生胸像創立25周年記念 校主銅像 小寺先生の還暦祝賀(昭和12年10月17日)
 創立25周年と、小寺先生の還暦を祝して銅像が作られました。現在も記念図書館の右斜め前の台地にあります。
 帝展審査委員でもあった吉田三郎に製作を依頼、台座の文言は当時教諭であった藤井金吾先生が撰文、文字は書家であり第一回卒業生の上田桑鳩の揮毫により製作されました。

小寺先生最後の写真神戸市長に当選 昭和22年4月7日(70歳)
 昭和5年の衆議院選挙落選後、政界から引退はしましたが、昭和22年 終戦後公選導入後の初代(歴代11代)神戸市長に選出されました。
 昭和24年 72歳で逝去されるまでの2年半に、神戸港の充実、市町村合併、神戸高速鉄道の設立支援など多くの業績を残されています。
(昭和24年9月14日午後二時、荒田八幡神社境内ニ於テ撮影)

昭和24年9月27日逝去(享年72歳)
 港湾問題解決のため東京出張中のことでした。
 法名は「謹堂院放光無量大居士」。三田市興聖寺と鵯越にお墓があります。10月8日には学校講堂にて慰霊祭がとりおこなわれました。

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